以前はドSな手術室ナース。今はM気味な外来ナース。しかし家に帰るとにゃんず3匹を溺愛する、妄想好きのオタクな女の古(←こ)なのよ〜。2011年からの乳癌治療の話もちょっとだけね。
2013-12-30 (月) | 編集 |
何度も自分の年齢をBlogの中で書いているので、
ワタシが47歳の女の古だってことは
皆様ご存知でしょうが、

そう、、、、

もうすぐワタシも年女なのですよ。

ブログ村のmさんの記事にもありましたが、
ワタシも丙午(ひのえうま)なんです。

田舎育ちの為、ワタシが子供の頃は、
親戚一同が集まる度に、
『お前は丙午だから、将来が心配』とか、
『丙午だから、お前は気が強いに違いない』等々
散々言われて育ちました。

自分から好きで選んで丙午に産まれてきた訳でもないのに、
当時、幼な心にだいぶ傷ついたものです。




実はワタシの父方の祖母も丙午でした。
ワタシとちょうど60歳違うのです。
(丙午は60年に1回です)

ワタシは祖母の顔は知りません。
祖母は39歳で、第二次世界大戦中に亡くなっています。
出産時の心臓発作だそうで、お腹の子どもも亡くなりました。
(父は当時4歳でしたので、父も実母の顔は覚えていません)



ワタシが偶然、丙午ということもあり、
父から、
『お前はおばあさん(父にとっては実母)の生まれ変わりかも知れん』
と言われた事がありました。

この言葉は、
何気に、、、ずっとスルーしてきたのですが。




ワタシが39歳で、手術室勤務の時の話です。
その日、ワタシは『準夜→日勤』勤務の日勤でした。
昨夜の準夜勤務を終え、家に着いたのが夜中の2時過ぎ、
自宅で3時間寝て、朝には出勤し8:30から勤務していました。

午前中、器械準備室にて器械をセットしている時、
何だか心臓がドキドキしている?と思い、
自分の右手で、左手首の橈骨動脈を触れてみました。
あれ?脈が早くて数えられない、、、、、嫌な予感がしました。

誰にも何も告げず一人で
今、空いている手術室に向かいました。
そしてEKGモニター(心電図モニター)を自分の胸につけてみたのです。
2013123014235223b.jpgイメージ画像です。

モニターに表示されたHR(心拍数)は、170
ワタシはどちらかというと普段は洞性徐脈で、こんな3ケタの心拍数は初めてです。
『これはマズイ事が自分に起きているのでは』
そう感じました。
とりあえず誰かに助けを求めないと、、、、
心電図のコードをいったん外し、部屋を出て、後輩看護師Mを見つけました。

事情を話し、彼女を部屋に連れ込んで再びモニターを装着すると、
今度はHRは220 で、モニターの警告アラームがピピピピピ、、、ピピピピピ、、、と、けたたましく鳴り続けます。

アラーム音を聞きながら、、、、
『ワタシ今、死んじゃう?』
自分の突然の心停止のイメージが浮かびました。

当時小学生だった二人の子どもの顔が浮かび、
後から、オットも浮かびました。



その後、後輩Mがスタッフを呼んできてくれて、
部屋にドヤドヤと研修医もやってきて
PSVT(発作性上室性頻拍)では?と

息を思いっきりこらえて止めてみて!(バルサルバ法)
近くの水道水を汲んできて
『水を飲んで!』と、水道水をムリやり飲まされ
それでも頻拍は続いたので研修医に頸動脈の圧迫をされました。

スーパーローテートの研修医(推定24歳〜26歳♂イケメン)に
両首をしめられ(正確には頸動脈マッサージですが)
緊張の39歳のワタシ。
別なドキドキ体験をしました。

手術室から、いそいで救急センターに車イスにて運ばれたのですが、
(ストレッチャーは恥ずかしいので車イスにして〜とお願いした)
救急センターで循環器内科ドクターの診察を受ける前には
PSVTは自然に消失したのです。



PSVTの発作を起こしたのは、
あの39歳の一回っきり。

祖母が亡くなったのと同じ、39歳での発作でした。



その年の暮れ、実家に帰った折に
職場でPSVTを起こした事を両親に話すと、
『やっぱりお前は、おばあさんの生まれ変わりかも、、、』と言われ。



ワタシは『生まれ変わり』とか、
『輪廻転生』を信じるタイプです。

年女になる度に、会ったことのない祖母の事を考えます。

きっと、
遠くで見ててくれている。
守ってくれている。
そうに違いない。

そんなことを考える
もうすぐ午(うま)年がやってきます。




※ 頸動脈マッサージは、内頸動脈の血栓が剥がれて頭に飛ぶ可能性があるといわれ、現在はあまり行われない医療行為です。

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