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看護師であり乳がん患者でもあります。家にいるにゃんず3匹と、仕事の話、お金の話、乳がん治療のその後の話など、日常のアレコレを記録していきます。
2012-01-17 (火) | 編集 |
阪神淡路大震災からもう17年なんですね。

私はずっと関東に住んでいるのですが、それでも『阪神淡路大震災』に、忘れられない記憶があるのです。


あの時、私は28歳でした。
切迫流産で12月から仕事を休んでいましたが、結局流産となりさらに2週間の療養休暇となりました。
そしてあの1月17日が、初出勤日だったのです。

あの出勤の朝、当時アパートに住んでいた私は、、、、TVの中の今まで見たこともない凄まじい映像に目が釘付けでした。
手術室に出勤しても、医師たちが皆んな休憩室のTVにかじりついて見ていました。皆口々に『信じられない、、』とつぶやいていたのを覚えています。
実家が神戸だった医師は、両親とまだ連絡が取れない、、、、と動揺しているようでした。

ほどなくして、私の病院からも災害援助チーム派遣が決まり、阪神へ災害援助に行けるナースの募集が始まりました。
何処の病棟でも1名は参加を出すように、、、との上からの通知だったと思います。

当時の手術室で一番年齢が若いのは私でした。仕事が面白くて、バリバリ働いていた頃です。
災害援助チームに立候補したら、
 『1週間は交替人員なし』
 『髪は洗えない』
 『風呂もない』
 『寝るのも寝袋』
 『食事も配給がどうなるか行ってみないとわからない』  と言われました。

当時子供がいなくて、手術室看護師の中で一番身軽なはずだった私。行きたい、、、でもどうしよう。
でも当時の婦長の「あんたは流産したばかりでしょ。」
との言葉に諦めました。
病み上がりで参加して、もし向こうで何かあったら、また皆に迷惑かけてしまう、、、。

結局、手術室看護師の中では立候補者がです、他の病棟看護師が派遣されていました。

あの時、妊娠して無かったら、絶対私が『災害派遣』へ行ったのに、、、、、
あの時、流産せずに妊娠が続いていたら、あの子は17歳になったのね、、、、、、

そんなことを思い出す、、、今日1月17日です。


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