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看護師であり乳がん患者でもあります。家にいるにゃんず3匹と、仕事の話、お金の話、乳がん治療のその後の話など、日常のアレコレを記録していきます。
2012-01-12 (木) | 編集 |
私は夫側の親族には乳癌を話していない。
夫には、義父と夫の弟たちに(私の病気を)絶対言わない様、固く口止めしてある。

以前に何度かブログにも書いたが、義母(夫の母)は乳癌で亡くなっている。
夫の家は、二世代続けて妻が乳癌ということになってしまった。
そう思われるのが嫌だから隠しているのでは決して無い。

夫の家が、親が、根本的に嫌いなのだ。


結婚してから、夫の家とは色々な摩擦があった。とてもブログには書ききれないくらい、、、、時代遅れなことをたくさん要求されたからだ。
たくさん嫌味も言われてた。

結婚して始めての正月、夫の実家に訪ねた時、東京から親族が泊まりにきていた。
義父にとっては一番下の弟夫婦(夫には叔父夫婦)と小学生のいとこ2人だ。
夕方、コタツのある居間でTVを見ていたら、義理母に座敷の部屋に布団を敷くのを手伝え、と私だけが指名された。親族がその日泊まるための布団だ。

義母は乳癌患者だったので重い布団敷きはもしかしたら大変だったのかも知れない。
私も布団を敷くのが嫌いだった訳ではない。しかし義母には私の夫も含めて大の息子が3人もいるのだ。180cmもある元気な息子たち3人がいるのに、その3人には声をかけず、たまたま来ていた私だけを何故布団敷きにご指名するのか。

夫の実家では私はお客様扱いは全くされなかった。もう結婚最初から。
本当に、働き手、、、まさにヨメ、女中だったのだ。

食事も男達とは別だった。
義理父や夫や弟たちや親族は同じ部屋(座敷)で食事をするのに、義理母はまだ動いていた。
皆のご飯のお代わりをよそったり、食事が終わればお茶をお出ししたり。

そして後片付けしながら皿を台所に引き上げて、皆の残した物(漬物とか、煮物とか、お刺身の盛り合わせとか)北側にある薄暗い台所(家も古い)で、母はひとり後から食べるのだ。(時代劇で見たことがあるような生活だった。男尊女卑の時代の食事風景だった。)

私もその慣習に従った、、、耐えがたかった。。他人の残り物を食べるなんて。
(私の実家では父も母も、親族も、こんな時は皆で一緒に食事をしていたから)
嫁に来たとはいえ、、、、こんな家が慣習がまだあるんだと、、、こんな姑・舅だと知らないで嫁いだことを後悔し始めた。
夫の両親が嫌いになってくると、だんだん夫も憎らしくなってくるから不思議だ。


何度かお盆と正月とその生活を我慢して繰り返したが長女を出産してからは、仕事にかこつけて、夫の実家には寄り付かなくなった。
こういう時に看護師の仕事は便利だ。
正月も盆も関係ないので、仕事で来られない、夜勤明けで寝ている、、といえば、流石に義父母もそれでも来いとまでは言ってこなかった。(夫は嫌味を言われていたかもしれないが)

長女が産まれた時も、何のお祝いも頂けなかった。
『内孫にはお祝いは要らない』というのが彼らの言い分だった。
産着の一枚も何もくれなかった。
産まれる前に、あまりにも何も言ってこないので、夫が、
「なにかお祝いに買ってくれないの?」と聞いたら、義母に
「何か欲しいものがあるのかッ!」と言い返され、それ以上何も言えなかった、、、、と教えてくれた。
だからますます私の足は遠のいた。

それでも義母が乳癌の転移で亡くなるとき、看取ったのは私だ。
私の病院に転院させた後、結局『乳癌の転移』と判明し、あれよあれよと言う間に具合が悪くなってしまったのだが、義父は一度も見舞いに来なかった。急変した連絡を受けて初めてやってきたのだ。
義母も結局は可哀相な人だった。

それら、すべてがシコリとなり、私は義父には『乳癌』を言いたくない。
そして、絶対義父より先に死んでなるものか、、、、と誓っている。

ブログの皆さんの、、、
『夫の実家でごちそう頂きました~』  とか、
『抗癌剤治療中、夫の母が家の手伝いに来てくれました~』とかの記事をみかけると、とっても羨ましいです、、、、、。


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